20150719_教会学校サマーキャンプ

 教会学校のサマーキャンプが7月18~19日、光丘教会で行われました。一晩を共に楽しく過ごした子どもたちは、互いの友情を深め合うと同時に、神様とも親しく交わる〝恵みの時間〟に目を輝かせていました。

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 キャンプ初日に行われた分かち合いのテーマは「小さな人々(貧しい人々)によりそう子どもになろう」。ストリートチルドレンとしてフィリピンの「ごみの山」で生活している児童のドキュメンタリー映像を見た教会学校の子どもたちは、世界の貧しい人々のため自分に何ができるのかを省察。「募金」「お祈り」などの意見を出し合いました。

 もちろん、キャンプは楽しい行事も満載です。ソーメン流し、かき氷作り、花火大会などに歓声を上げた子どもたちは、テゼの祈りで1日を締めくくりました。

 2日目。主日のミサにあずかった子どもたちに、シスター薮本が語りかけました。

 「いろんな国でたくさんの子どもたちが苦しんでいることが分かったと思います。では、どうすれば私たちは彼らのことを忘れないでいられるでしょう」

 子どもたちからは「祈り…」の声。「そうです。毎日、貧しい人たちのために祈りを捧げることこそ、彼らを忘れないための方法です。祈り続ける中で『自分に何ができるか』という心も育ちます。それをイエス様もお喜びになるでしょう」。シスター薮本は静かに話を結びました。

 キャンプに参加した男子中学生は「いまの幸せに感謝するとともに、貧しい人たちのために何かしなければならないと感じた。この2日間で、みんな一つ成長したと思います」と話していました。

 みんな、良い夏休みを!
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# by 2_shin | 2015-07-19 16:30

20150712_福音宣教の心得とは 信仰生涯学習会

 主日の福音を、旧約時代からの「救いの歴史」の歩みの中でとらえ直す平田敬神父様の信仰生涯学習会。7月12日(年間第15主日)は「十二人の派遣」(マルコ6.7-13)について学びました。以下はその要約です。

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 きょう読まれた福音書には、福音宣教の心得が書かれています。1本の杖と履物は必需品です。宣教のため山道や遠路を歩く際、たとえ若い人でも杖や履物が必要となるからです。「そんなものはいつでも買える」と思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、イエス様はパンや袋、お金、替えの下着は携行するな、とおっしゃっている。これは「持ち物が不足していることを心に留めつつ、清貧の心を持って宣教に励みなさい。そうすれば、あなたがたは出会った人から提供される食べ物や着物をありがたくいただき、感謝のうちに福音を述べ伝えられるだろう」という意味なのかもしれません。あるいは「宣教の成否がどうであれ、それはあなた一人だけの結果ではない。いつも共にいてくださる神が助けてくださっているのを忘れてはならない」という思いが込められているのではないでしょうか。
 イエス様は十二人を派遣するに当たり、汚れた霊に対する権能を彼らに授けました。これは神様の望みから外れて生活習慣が乱れてしまっている人々を正す恵みであり、この恵みに預かる宣教者は自らが神の道具であることを忘れてはいけないと思います。自らが神様のためにより良い道具でありたい、神の望みのままに自分を使っていただきたいと願うとき、むしろ様々な所有物を持っていると、それが邪魔になってくるものです。神様の願いに対し身動きが取れなくなってしまわないように、宣教者は身軽であることが基本。イエス様はそうおっしゃっているのかもしれません。
 さて、福音書には弟子たちの宣教を「迎え入れる人」と「迎え入れない人」のことが書かれています。善悪入り混じったこの世間において、「迎え入れない人」にはどうしても世俗的な影響が多く入り込んでいます。私達は恒常的な回心によってキリストの招きを受け入れ、新しい人(神中心の生活を生きる人)となるのですが、回心しない人は古い人のままです。しかし、我々信者にも世間からの誘惑はあるし、それを努力して乗り越えてきた経験がある。まだキリストを知らない人々へ福音を伝える上で、私達はこうした自らへの誘惑や努力の体験を大切にするべきでしょう。まだ信者でない人々の気持ちを理解するために、そして自らの体験が彼らの参考として役立つために。
世俗的な日常の中に神様の心が入ってきて、その心が成長し、神様を理解する雰囲気が広がっていくことこそ「神の国」の姿です。私達は神様から使わされた弟子として、日常の何気ない奉仕活動など日々の姿を通して、神様の心を周囲の人々に伝えていくことができればいいと思います。それが少しでも出来得たならば、神様からの祝福を受け、自らが豊かにされていく実感を味わうことができるでしょう。
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# by 2_shin | 2015-07-12 19:43 | 全体

2015_0621 信仰生涯学習会

 主日の福音を、旧約時代からの「救いの歴史」の歩みの中でとらえ直す平田敬神父様の信仰生涯学習会。6月21日(年間第12主日)は「湖を静めるイエス」(マルコ4・35-41)について学びました。以下はその要約です。
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 ガリラヤ湖は東西を高地に挟まれた地形になっているため、山からの強風が吹きつけ、しばしば嵐に見舞われていたようです。湖に舟を漕ぎ出した弟子たちは凪(なぎ)の間、眠っておられたイエス様の存在を一瞬、忘れてしまっていたかもしれません。自らが平穏で豊かなとき、人は周囲のことを忘れて自己中心的になる傾向があるからです。ところが、嵐という予期せぬ困難に遭遇した弟子たちは慌ててイエス様を揺り起こします。「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」。これはもう、弟子たちの「神頼み」ですね。さて、私たちは平穏なとき、そして困難に直面したとき、どうでしょう。ガリラヤ湖での出来事を自らの生活に置き換えて考えてみましょう。

 私たちの先祖で、のっぴきならない危険に遭遇した人物にノアがいます。ノアは神に命じられて作った箱舟によって荒波から救われました。しかし私たちは、例えば晴天のときに「箱舟を作りなさい」という神の声を聞いたとして、それに従うでしょうか。ノアの時代にも案の定、周囲の者は「そんなもの必要ない」「もっと楽しく生きようよ」などとノアを笑いました。しかし、周囲に馬鹿にされながらも箱舟を作り上げたのが、ノア一族の信仰です。人間中心の生き方(人の目、人の言葉中心)ではない、神中心の生き方です。人間中心の生き方をすれば、人は格好の良し悪しや損得感情に流されますが、神を中心に生きると、人は心の声で善悪を判別するようになります。殉教者の生き方はその模範ですね。

 さて、現代社会を海に例えるとすれば、ノアの箱舟は何に当たるでしょうか。もうお気づきでしょう、教会です。その教会と、神の民である私たちが、現代社会の荒波の中でどう生きていくか。ノアのお話はそのことを教えてくれていると思います。

 イエス様は、嵐に惑う弟子たちに手をさしのべ、助けてくださいました。今の時代でも、私たちが試練に遭うとき、神様は必ず助けてくださいます。みなさん、社会や世俗の波にもまれながら、どうか信仰をより強くし、信仰の証し人となってください。 私たちが信仰を次の世代に伝えようと努力するとき、神様からの恵みも豊かにあります。そのことを忘れないでください。
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# by 2_shin | 2015-06-21 23:16 | 全体

20150531_お帰りなさい、北村神父様

 名古屋教区でこの春司祭に叙階されたヨハネ・ヴィアンネ北村雅彦神父様(名古屋・東山教会助任)が5月30、31日に光丘教会で初ミサを捧げてくださいました。
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 2012年に司牧実習生として光丘教会に派遣され、その飾らない快活な性格で信徒や教会学校の子どもたちに愛された北村神父様。「三位一体の主日」となった日曜日(31日)のミサ説教では開口一番、「自分は間が悪い。光丘教会への訪問が信徒総会や子どもたちの運動会と重なるなんて…」と述べ、信徒の笑いを誘いました。
 この説教では、復活されたイエス様が、弟子たちに行った最後の命令が「行きなさい」「すべての民をわたしの弟子にしなさい」「洗礼を授けなさい」「教えなさい」の四つであった(マタイ28・19-20)と指摘。「私自身の弟子ではなく、イエス様の弟子をつくることがキリスト者の使命である」と訴えました。その上で、自らの叙階の恵みについて触れ、「神様は僕に使命を与えてくださった。叙階のお恵みは通過点だと思っている。新米神父にできることは限られているが、神のみ心に応えて神の道具になれるよう日々祈り、精進していきたい」と説教を結びました。
 ミサを終えた北村神父様は「私が司祭を目指すに当たって、光丘教会のみなさんに一番心配していただき、祈っていただいた。その方々とこうしてまた一緒にミサを捧げることができて本当にうれしかった」と満面の笑顔でした。
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# by 2_shin | 2015-05-31 19:46

20150221_四旬節黙想会

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 2月21日から(23日まで)、今年の四旬節の黙想会が開かれました。講師は笹丘教会の今田昌樹司祭、テーマは「あなたは私の愛する子」でした。以下、その初日の講話の要約です。
 「教会」を意味するギリシャ語「エクレシア」とは、神様の呼びかけに応えて一つに集まったものを指し示します。つまり、それは「建物」よりもむしろ、「人」を示すものなのです。では聖堂の基本とはなんでしょう。それは、祈り、聞くこと、教会家族の会食の場です。それは食卓を囲む家族の場であり、神様のおうちとは、すなわち、私たちの家なのです。家庭とは、自分が自分らしくいれるところであり、神様は私たちをかけがえのないものとして、そこにいさせてくれます。
 イエス様が荒れ野で四十日間の試練を受けられる前、ヨルダン川で洗礼者ヨハネの手により洗礼を施されます。その時、天の御父の御声「あなたは私の愛する子」という声が響きます。これは、私たち一人ひとりにも言われている言葉であり、自分が自分でいることができる安心感を示しています。では、イエス様は福音宣教に出る前になぜ荒れ野に入られたか。御父に向き合い、悪の力に向き合う。荒れ野でのサタンの試みは、神様が持っているものさしで私たちを見て下さることを意味し、神様のものさしを無視する誘惑に打ち勝って、イエス様は荒れ野から戻って来られたのです。
ここで、星野富弘の詩、「はなしょうぶ」を紹介しましょう。
 黒い土に根を張り 
 どぶ水を吸って
 なぜきれいに咲けるのだろう
 私は大ぜいの人の愛の中にいて
 なぜみにくいことばかり
 考えるのだろう
イエス様が私たちに模範を示されているように、私たちも教会の中で、「あなたは私の愛する子」という声を聞くのです。
 フランシスコ教皇様は教会は野戦病院のようでなければならない、とおっしゃっています。それは、イエス様ご自身が野戦病院のようだからに他なりません。
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# by 2_shin | 2015-02-21 15:11 | 全体

20150215_司教様公式訪問・堅信式ミサ

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 年間第6主日の2月15日、宮原司教様が光丘教会を公式訪問され、堅信式ミサを司式されました。この日の受堅者は小学6年×5名、中学生×7名、高校1年×1名、成人×2名の全15名。午前9時半から始まったミサの説教において、司教様は本物の福音とは何なのか、神の愛とは何なのか、問い質すところから話を起こされました。「マザー・テレサは愛することの反対は無視すること、相手にされないこととおっしゃいました。しかし、神様は見捨てません。永遠に続く神様のしあわせ、神様とつながっているというしあわせを、今日堅信の秘跡とともに確認いたしましょう」と受堅者、信徒に向って語られました。このあと、堅信の秘跡を授けられた司教様は、終わりの挨拶で、「今日は皆さまの熱意を感じました。今日は入学式です。これから勉強、クラブ活動などとだんだん忙しくなってきます。知恵と理解、判断と勇気で、わたしたちを神様から引き離そうという悪霊、誘惑を退けて、神様とつながっているという接点~ミサ聖祭、ゆるしの秘跡など~を大事にしましょう」と、今一度念を押されて、この日のミサを締め括られました。
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# by 2_shin | 2015-02-15 13:47 | 全体

20150111_新成人祝福ミサ・新年もちつき大会

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 1月11日、主の洗礼の主日、新成人祝福ミサと新年もちつき大会が催されました。ミサには三名の新成人が出席しました。晴れやかな表情の三人を代表して、ミサの最後に挨拶に立ったH.E.君は、「これから大人として責任を持って生活していきたい。光丘教会にはお世話になってきたので、お返ししていきたい」と力強く抱負を語っていました。ミサ後開かれたもちつきでは、子どもから大人まで参加して、威勢よくもちがつきあがり、みんなで食しました。
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# by 2_shin | 2015-01-11 15:06 | 全体

20141224/25_主の降誕祭

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 12月24日(水)、午後7時より、主の降誕祭夜半のミサが捧げられました。ミサ冒頭、子どもたちが捧げたキャンドルの火の明りが、祭壇前の馬小屋を照らし出しました(写真上)。平田神父様は説教の中で、1年前のクリスマス前は、マヤ暦の終わりに当たり、人類の滅亡、世の終わりが来るのではないかと世が大騒ぎしていたことを思い起こされました。「こうした恐怖、不安の代わりに希望を見出すのがクリスマスです。神さまの望みに従って、馬小屋で、わたしたちの闇の心の中に光を与え、永遠の幸せをいただけるように道を示して下さったのがイエス様です。わたしたち一人ひとりが人生の中で思わぬ苦境に陥ったときでも、愛の光を注いで下さるイエス様。新しい年を希望の中でその第一歩を歩むことにいたしましょう」と語られていました。
 翌25日は午前10時から主の降誕ミサが捧げられました。平田神父様は、昨夜のミサ冒頭を思い起こし、「不安や恐怖である闇の中に一筋の光が灯ることによって、光の先に喜びが見えて来ます。それがイエス様です」と優しく諭されました。ミサ後、信徒会館大ホールにて、子どもたちのパーティが催され、冒頭、教会学校の子どもたちによって、聖劇「はじめてのクリスマス」が上演されました(写真下)。
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# by 2_shin | 2014-12-25 13:16 | 全体

20141207_教会学校募金活動

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 今日は教会で子どもたちが、ネパールの子どもたちのための募金活動を行いました。寒空の下、元気な声で募金を呼び掛けていました。
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# by 2_shin | 2014-12-07 17:51 | 教会学校

20141124_福岡教区の日

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 11月24日(月)の祭日、カテドラルにて、福岡教区の日の集いが催されました。大聖堂にて、みことばの祭儀から始まったこの日の集いは、続いて、二人の青年による信仰の伝達に関する証しが行われました。二人目に演台に立った浄水通教会のY.Y.さんは、昨年、亡くなられたお父様のその最期のときの話を交えながら、家庭での信仰の伝達のあり方を証しされていました。その後、真命山のフランコ・ソットコルノラ神父様による講演会でした。神父様は、昨年の11月24日に発布されたフランシスコ教皇様の「使徒的勧告」に基づいて、お話を進められました。民としての教会の感覚に重きを置かれる教皇様は、困っている人、病気の人に寄り添う教会の中に、弱者に手を差し伸べて触れ合うキリストの姿を重ね合せます。その中で、「神の民」を強調することを通して、教会の概念ではなく、ともにいる教会、一緒にいて楽しい教会というものの中に、神の愛を体験していきます。この「使徒的勧告」のテーマは「新しい福音宣教」です。教会を離れている人々に向って心を配り、洗礼を受けたばかりの人にも気を掛け、そして、家庭での信仰の伝達を大切にする、という話でその話を締め括られました。
 昼食後、教区の日感謝ミサが捧げられました。説教の中で、宮原司教様は、「イエス様は人に責任を押し付けたりしませんでした。むしろ、非難や攻撃を全部、その身に受けられました。キリストに近づきたいという願いが、わたしたちの身を新しくさせるのです。それが日々の回心です。福音の喜びはキリストに出会う喜びです。そこに交わり、一致が生まれます。個人主義を排することによって、喜びは伝わっていくものであり、交わりが教会を成長させるのです。福音宣教の上積みをしましょう」と語られていました。共同祈願では、各地区の代表者による報告と、共同祈願の意向の先唱が行われました。また、感謝の祭儀の祭壇を準備するため、侍者によって祭壇の布とろうそくが捧げられたのち、4月からのわたしたちの歩みを捧げるために、各地区、各小教区からの信仰の伝達に関する報告書が捧げられました。
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# by 2_shin | 2014-11-24 18:04 | 全体